小学校三年生の秋に虫垂炎で入院し、その見舞いに来た親が見慣れぬ漫画を差し入れてくれた。それは、まだ月2回刊になっていない頃の「花とゆめ」だった。その号かその次の号に、三原順の「はみだしっ子」が読みきりで掲載されていたはずだ。
その雑誌は私にとってかなり新鮮だったのと、他にあまり買っている人もいなかったせいか、自らの小遣いをはたいて買うようになった。それからまもなく、花とゆめは月2回刊になった。こやのかずこの描いた、両手でピースをして「月2回刊」になることをアピールしているイラストが脳裏に焼き付いている。
「ガラスの仮面」の連載が始まったのは、月2回刊になって1年たった1976年新年号と記憶している。2大連載開始、として「ガラスの仮面」「スケバン刑事」が始まった。
この二つの漫画は今となってはあまりにも有名なので説明する必要は全く無いと思うが、私はこの二つの連載が大好きだった。スケバン刑事も好きだったが、ガラスの仮面は私にとって特別な存在であった。そのストーリーの面白さもさることながら、北島マヤのような、絶対的な「天才」というものへの憧れを子供心に抱いていた。他のコミックスは友人に貸したのに、「ガラスの仮面」は傷むのを恐れて貸さず、さんざんケチと言われたものだ。(友達が遊びに来てこっそり本棚から抜いて読んでいるのを見て怒っている自分を覚えている。よく友達がいたものである)
私はその頃、高いところに行けば飛び降りる想像に取り付かれ、自転車に乗れば両手を離す想像に取り付かれたりしていた。こわれる、しぬ、なくなる。そういうことがよく頭の中をぐるぐる回った。
でもそういう時、「ガラスの仮面の連載が終わるまでは生きていなきゃ」と気を取り直していた。無理やりではなくて、実際にそう思っていた。今から思うとそれだけで生きるのか、という感じだけれども、ガラスの仮面のストーリーを見届けるまではしねない、それはかなり強い理由なのであった。
そういうことが生活の中心だった時期も成長とともにいつしか過ぎたのか、私はガラスの仮面のコミックスを18巻までしか集めなかった。花とゆめも高校生の中ごろからあまり読まなくなり、ガラスの仮面がどういう展開になっているのか、現在は全く知らない。
今はガラスの仮面を見届けるまではしねないなどとは微塵も思っていない。多分、あの頃よりそうとう楽に生きている。
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