「ピンクとグレー」感想【ネタばれなし】

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 加藤君の「ピンクとグレー」が発売されたので早速読んだ。本気で楽しみにしていて、アマゾンから届いたのが発売日の翌日だったため、それまでネタばれを見ないように細心の注意を払っていた。せっかくなので感想をまとめておこうと思う。 内容に触れる感想は【ネタばれあり】バージョンを書くことにして、とりあえずネタばれなしバージョン。

 以前書いたように「買って良かったと思える作品でありますように」とずっと願っていたわけだが、自分の想定していた買って良かったラインを軽々越えた作品だったので安心した。傑作だと主張するつもりはないが、良作だとは堂々と言える。ただここのところ加藤君を嬉々としてウォッチしている立場なので、全く公平な気持ちでこの本を読めているのかは私自身観測しようがないが。
 私は評論目的で読んでいるわけではないので、良し悪しは「没入できたか」「響いたか」「余韻はあったか」という一般アンケートのようなもので測ってみるしかない。よく見かける感想は「前半は表現が硬くて読みづらかった。」というものだが、読み始め、特に第一章は、意識して「なめられないような」文章を書いているのだろうなと思った。あえて架空の番組ではなく具体的な番組が連想されるように書かれていて、文字からシーンをイメージするのが苦手かも知れない読者層が既存の映像で補えるように配慮しつつ、それがチープに見えないように平易な表現が避けられている印象。
 ただ、前半、表現が硬いとか難しい言葉があったというより、『情景がよくわからなくて解析した』個所は確かにいくつかあった。そういう意味では、読んでいて没入から離れ我に返っている個所もあったということになる。子供時代の記述も意外と淡白だと思った。もっと書き込めば書けそうな(というかついうっかり行数を稼いでしまいそうな)内容なのに。でも、面白くないというわけではなくて、子供時代と高校時代の部分は、コンパクトにその時代の幸福さが描かれている。そういう事象がすっかり遠い過去になってしまった私などには、描かれているような失われてしまったなんでもない時間が懐かしい。
 芸能人として鈴木だけが売れていく部分の記述に感じるリアリティはやはり著者ならではで、私などの一般人が見えているものを内側から補完してくれる。別に芸能界の裏側を覗き見して楽しむという趣ではなく、そのどうにもならない大きな力で引き離されていく二人の運命と思いが、芸能活動などとまるで縁のない私の身近な話に思えてくる。
 そして決別、再会、「衝撃の展開」へと話は加速していく。なんだろう。圧倒された。別にこのあたりにくると細かいこと云々がどうでもよくなる。私はラスト間際一カ所どうしても泣いてしまう個所があり、自分でも動揺した。再読の際にそこを探してわざわざ泣きに行ってしまうとか、読後にそれを思い出すだけでうっとなるような、そういう状態。だから「響いた」「余韻があった」という点で自分で説明が難しいくらいに評価を上げざるを得ないのだ。論理的に感想文書きたかったんだが無理でしたね。

 「整然と美しく文章を書くコツを知っていて、客観的な目線があり読み手を意識できる」というのがエッセイを読んだ時の著者の印象だったが、そういう文章力は今回も感じた。雑誌のインタビューにもあるようにきっと著者は文字よりも映像のインプットが多い「映像の人」で、それを友人に語ったりすることで常に言語化するトレーニングを、結果的にしているのだろうと思う。だから小説でも脳内映像が鮮明にあるものを書き起こしている部分と、演出上必要になって言葉を駆使して構築している部分があるのかもしれない。文章や表現力に物足りなさがあったとしても、それはまだまだこれから言葉だけで構築する技術を吸収していけばいいのだと思う。今回は立場上失敗が許されない処女作であった分、いろんな技術と参考文献を力いっぱいぶち込んでいるからこれがピークだという人もいるかもしれないけれど、泣く泣く構成上削らざるを得なかった部分もあるはずだし、今回いきなり注目され上げられることやら、叩かれることやら、これからも目にするもの全て常に脳内で言語化して今後ますます成長していただけたらと願う。

 インタビューで著者が「5万5千人で埋まった東京ドームを、舞台から眺めた経験のある作家はなかなかいないと思うんです。どんどん成長しながら書き続けたいですね」と語っているのを読んだけど、その著者が見た5万5千人は今、ステージにいたアイドルが作家として踏み出すのを見れているわけで、そういうのもちょっと羨ましい。
 それと、著者は動きながら歌っている時音程外さなくなったらもっといい、かもね。そんな歌い踊る作家を私は見たいですよ。