人による

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最近Huluを解約したのだが、最後にと思い「ぼくたちん家」のスピンオフ、「もうひとりの作田策、の恋」2本を見た。この、空想世界という名の謎な内容、改めて見てもやっぱり謎。作田先生が心配になる。

ぼくたちん家、いいドラマだったな。全体的に丁寧で、脚本もキャストも良くて。難しいテーマなのに見ていてしんどくなることもなくて。見始めたのは手越くんきっかけだったけど、いい出会いだった。
あまりドラマを見ないのでコメントが的外れかもしれないが、私たち世代の憧れの文芸少女だった奥寺佐渡子さんが初めてテレビドラマの脚本を担当するというので興味本位で見た「お茶の間」、あの時感じた言葉の「センス」みたいなものをぼくたちん家にも感じたので、脚本の松本さんは大物になるに違いない。

印象的なセリフはたくさんあったのだけど、私の中で再生される頻度の高いのは、大家さんが言っていた「それも人によるわよね」だった。本筋からは逸れるのだろうけど。

ドラマの大家さんは私の同世代の人として描かれている。私自身は幸いマグカップのような体験はないが、女性であることが自分の最大の個性なのだなあ、と思いしらされる場面は何度かあった。

女性という属性ではあっても、本当に、あらゆることが「人による」。私は期待されているような女性ならではの感性は持ち合わせておらず、ニコニコもできないので、女性的役割をさりげなくやりなさい、みたいな空気からは、鈍感に徹して逃げていた。

でも今は、ドラマの中で大家さんがあの口調で、「人によるわよね」と言ってくれたりする。それだけで、いい時代になったなと思う。気が利かないと何十年と言われ続けた私が救われるようだ。


私も、明日、大家さんや井の頭アパートと同じ60歳になる。私、還暦の誕生日はT.N.Tの大阪ライブに行くのだけど、そういう人もいるよね。

愛なんて 2025年夏

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7月の終わり頃から、呼ばれたらいつでも駆けつけられるように待機していないといけない、という状況になっていた。以前書いたように楽しみにしていた「同窓会」や、学生時代の友人達との旅行も結局参加しなかった。今から考えるとどちらも行けたかもしれない、と思うが、先が読めない以上、遊びで遠出したいと言える立場ではなかった。

どういう経過をたどるのかはわからないけれど、残された時間の目安だけは知らされていた。家族の中では私が一番その人から血縁的に遠く、でもここ10年は付き添うことが多かったので、必要な情報は私が一番持っていた。そうすると、どうしても業務用スイッチのようなものが働く。その人にとっての息子や孫たちとの時間をコーディネートしなくてはならないという、使命というか、良き働き手であり続けようとしてしまうというか。

8月29日の手越くんのコンサートの頃は、状況がかなり悪化していた。チケットも買っていて、下の子も楽しみにしていたライブだけれど、付き添いを抜けて行けそうだなと判断できたのはその日の夕方5時くらいだった。とりあえず念のためカバンに入れていたペンライトと双眼鏡を持って、下の子と2人で大阪へ向かった。

あの日のライブで私は、ずっと前から今の手越くんの歌声で聴きたいと思い続けていた「愛なんて」を、生で聴くことができた。NEWSを聴き始めたきっかけにもなった一曲だ。この5年、他の昔のソロ曲と比べこの曲が歌われる頻度が極端に少なかったので、毎回セットリストに入っていないかなと思ってもなかなか叶わなかった。だからその曲だと気づいた時露骨に動揺してしまったようで、私の様子に横で下の子は驚いていたらしい。歌の上手い若い少年がちょっと背伸びをして歌っている感じの当時の音源も好きだったけれど、その場で聴いた歌は私が思い描いていた以上の仕上がりで、ホールならではの演出も非常に美しかった。私はこの場に立ちあえたことを、心から感謝した。


事態が急展開したのはその二日後で、その後も、いろいろな段取りが休みなく続いた。憂鬱さからくる疲れが薄く残っているのか、まだあまり長文を書いたりSNSにポストする気にならないのだが、それでも手越くんのWOWOW中継や、イッテQ等の出演番組は、ほぼ見ている。立川オーラスのWOWOW中継で「愛なんて」を録画できたのが、本当に嬉しい。このセットリストを放送してくれて感謝しかない。特別ゲストでJUONが来るというサプライズもあった。当時正直言ってなんだか苦手だったwake me upで感動する自分がいるとは思わなかったな。もう何もかも5年前と圧倒的にレベルが違う。素晴らしいよ。

彼の世界には「冷笑」や「嘲笑」が存在しない。だからこそ、疲れ果てている気持ちが救われるんだと思う。ずっとネットの世界に接してきて冷笑ばかり目にしてきて、飽きてしまった。そういうことはもういいやという感じ。

これから時間だけが取り仕切る残酷な順番があって、私自身避けて通ることはできないから、嫌だと思うものには削られず、大切に残りの人生生きていきたいと思う。

The Next Trigger

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去年は長い間アウトプットする気にならない状態が続いていたけれど、今年の5月くらいからイベントが続いたからか、少しずつ目詰まりが取れて流れ始めた感覚がある。

5月4日の手越くんのシンフォニックコンサート、5月10日の加藤さん主演の舞台エドモン、5月17日のアップリンク京都での「MIRRORLIAR FILMS Season7」の鑑賞。
家で見たDayDay.SUPER LIVE 2025とVS.超特急ライブの配信。
6月4日と5日はZeppなんばで手越くんのライブNEVER END 。
あとは八王子魂の配信、T.N.Tの新曲。

さすがにここまで自分に供給し続けたら、膠着した部分も少しは動くようになる。少し、息を吹き返してきたのかも。
 
それぞれについての感想はXにも書いたが、T.N.Tもすごく気に入って、DayDay.SUPER LIVE 2025や八王子魂は何度も再生した。

私はX JAPANを一瞬も通らなかったので、もともとYOSHIKI的美学に対する解像度が低いんだと思う。去年手越くんがXYのメンバーになった時に初めてYOSHIKI(多分同い年)を直視して、あー私、無意識に避けてきたんだな、と思った。
何ですかね。もちろん否定はしないけど、全体が私の嗜好の対極に位置している。ひたすらうっとりさせる大掛かりで大変美しい音楽。うっとりの加減が突き抜けている。だからこそ信仰として成り立つんだとも思うし、信仰だからこそ苦手なのかもしれない。
YOSHIKIの世界観が色濃い「Crazy Love」、存在自体にその世界観を背負う、YOSHIKI縛りのあるグループ「XY」。パフォーマンスは本当に素晴らしいのだけど、私が感じるしんどさも、その信仰から逃れられない呪縛の部分にある気がする。

T.N.Tの活動が始まった時、あれ、こっちはしんどくないなと思った。まっさらなものにそれぞれの個性が乗っかってるので、純粋に曲、歌、演奏だけを楽しめる。Jayと手越くんの声って実は似てるところがあるんだな、とか、演奏力の素晴らしさに改めて気づかされたり、とか。良くも悪くもだろうけど、世界進出を強く意識したXYではないからこその音楽ではある。

T.N.Tはその後結局3人になった。発表された時はすごく残念だったのだが、八王子魂のステージを見て、ビジュアルも含めわかりやすくて、これはこれでありかもなと思った。

とはいえXYとその周りをこの半年見させてもらって、信仰とは別の「愛情」という部分におけるファンのさまざまな葛藤や悲しみを延々と目にしてきて心が痛んだ。後追いであれこれ見ただけの外野なので無責任なことは言うべきではないが、これはないよなとも思った。

寡作の芸術志向アーティストが構想していたアメーバがどんなものかは結局よくわからなかったけど、形を決めずアメーバのように、というなら、形が定まらないくらい色んな形でリリースする必要があるだろうし、そうするとつんくか秋元康のように玉石混淆でも一定以上の質のものを量産するか、いっそのこと工房スタイルしかないのじゃないかと思う。それを選択しない時点でそのコンセプトは詰んでいるのではないだろうか。だとしたら、膠着状態から抜けるためにその与えられたコンセプトを機能させようと当事者がもがくのは、自然な活動なのではないだろうか。

最終的に、ファンの理想とは異なる形になってしまったのかもしれないけれど、本人たちが選んだのであれば、そこに彼らの幸せがあるように応援するしかないのでは、とも思う。切ない話ではあるが。

さて、私の次の到達目標は、T.N.Tのライブできょうへいやフルタツの演奏を体で受けられるように、オールスタンディングに耐えられる体力をつけることだ。覚悟を決めてT.N.Tに専念した彼らが楽しそうに演奏していたら、それはきっと私のエネルギーにもなるはずだ。がんばろう。

余談だが、私自身楽器が弾けないから演奏できる人は無条件に尊敬してしまうところがある。少し客観的に評価して欲しくて下の子(軽音楽部)にT.N.Tの映像を見せたのだが、結局ボーカルがアップになるたび「ビジュ、良!」しか言ってくれんかった。
ブレないな。

同級生

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学年で言うと今年が節目の年齢なためか、夏に高校の同窓会がある。関東在住の有志による小規模なもの。たまたま幹事に近い人が知り合いで、奈良在住の私にも声がかかった。

参加すると伝えたら、グループLINEに追加された。でも、任意の表示名や結婚後の姓などで登録されていて、参加者の全貌がよくわからない。ようやく最近、当時のクラスと名前での参加者名簿ができて、誰が出席するのか把握できた。知らない人、名前は覚えているけど関係性が薄い人の中に、名前を見ただけで高校時代の顔が浮かぶような懐かしい人がいる、という感じ。

新潟に帰省するたび高校時代の友人と食事に行ったりもしていたけれど、その中の1人も亡くなってしまった。それを思うと、この年まで各自いろんな時間を過ごし、生き抜いて、そして何十年めかのある日に一ヶ所に集まって会話をするっていうのは、同窓会なんだから当たり前だけど、感慨深いイベントであることは間違いない。

当日は「1分間で」近況報告をしてくださいといわれている。この年月を1分間でまとめるとかどうしたらいいんだろうと思うし、その何十年が詰め込まれたそれぞれの1分が、参加する50名分語られるってのはかなり濃密だ。受け止め切れるだろうか。


話は変わるが、6年くらい前、高校時代の友人が京都旅行にきて、久しぶりに会った。彼女は顔が広く、いろんな同級生の情報を持っている。話が出尽くしたかという頃、彼女が意外な名前をあげた。

「○○君覚えてる?」

覚えてる。同じクラスだったことがあるから。

「あの子、今、芸能事務所の社長らしいよ」

芸能事務所?

正直驚いた。教えてもらった事務所は私も名前を知っているような大手だった。でも、その彼と、私が抱いていたその事務所のイメージが全然結びつかない。

半信半疑のまま家に帰ってから検索してみると、確かに社長の名前は漢字が旧字体だが同じだ。写真も色々ネットに出回っている。だがどれを見てもどうしても本人に思えない。顔はまあ、同一人物と言っても矛盾はない。でも私の知っている高校時代の彼はネットで見かけるようなヤンチャな感じではなく、もっと普通の寡黙な、関西でいうところのシュッとした男子なのだ。この手のヤンチャなファッションが好きそうな気配すら一切なかった。彼と会話をした記憶はないが、カッコいい、と言ってた女子はいたと思う。ただ私自身はかっこいい人に関するセンサーが弱すぎて、そう言われるまで気づかなかったが。

高校を卒業してからは、会ったことはない。でもかなり昔一度、雑誌に載っているのを見たことがある。ある雑誌のタレントコンテストの最終20人として小さく掲載されていた。誤植だったのか、そこに書かれていた彼の年齢は、私より3歳若かった。田舎の高校でかっこいいと言われていても、芸能の仕事に就くのは厳しいのだろうなあ、などとその小さい写真を見ながら思ったし、写真はまだ、私が知っている彼ではあった。私はその雑誌を何故か、買った。

それが、私の彼の最後の記憶だ。
きっといろんな苦労をして今があるんだろうな、シンプルにすごいなあ、と思う。到底私には成し遂げられないことだ。ただ、私の脳内にいる田舎の高校生である彼は永遠に更新されないので、ネットの無責任な黒い噂を目にしたり、呑気に見ていた配信で急に名前が出てきたり、所属しているタレントのゴタゴタでファンに「クソ事務所」と言われてたりすると、ヒッ、となる。何も関係ないのに私。

今回の同窓会に名前がなくて残念なような、ほっとしたような。でも1分でその人生をどうまとめるか、聞いてみたかったような気もする。

ペルソナ

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目新しいSNSは、登録だけして様子を観察したりする。人が少ないうちはどのSNSも快適で穏やかなのだが、人が多くなると様子が変わってきて、人にだる絡みしたり悪口を撒き散らかしたりする人が目立つようになる。

優しい世界を謳っていたSNSも結局優しいだけではいられない。Twitterだって最初の頃は治安が良かったのだ。

WebサービスのUXの設計の手法の一つとしてペルソナを作って考えることがあるのは知っている。具体的なユーザー像をチームで共有しユーザー目線でサイトをデザインするのに便利らしい。

それでいうと、優しくて治安の良いSNSを実現するためには、厄介なユーザーが利用したがらない、もしくはそんな厄介なユーザーが思わずまともな投稿をしてしまいたくなる「ユーザー体験」が想定されている必要があるってことかもしれない。

とりあえず、厄介なユーザーのペルソナを考えないといけないのだな。

ネット上には政治や皇室や諸々、アンタッチャブルな世界がたくさんある。正直、あの、「レベルの違う厄介さ」は手に負える気がしない。
せめて、私の関心ごとの可愛い範囲においての厄介、という意味で考えると、思い出す2人のTwitterユーザーがいる。


2017年のあの頃か2018年のあの頃か記憶が曖昧だが、Twitterでそれまでよく見ていたNEWS関係の界隈が一気に汚水化してしまい、とりあえず当時一番澄んでいた小山くんファンだけ見ていた時期があった。

そのきっかけとなる悪口アカウントは有象無象たくさんあったのだが、中でもはっきり覚えているものが2つある。一つはアニメの主人公をアイコンとハンドルにしたもの、一つは記号をアイコンとハンドルにしたもの。前者も後者もツイート数が多いのかバズりやすいのか、よく目についた。

何が厄介かというと、2人とも妙に楽しそうなのだ。立ち位置はあくまでNEWSファンなので、その人が普段どんな嫌味なツイートをしているのか知らず、その人の一部のツイートを良い方に解釈してリツイートしている人とかもいたりして、あーあ、と思って眺めていた。

愚痴垢とはよく言うが、個人的な愚痴なんて別に他者から見たらただの汚泥でしかない。綺麗な水の中でキラキラしたものを見たくて検索しているのに、汚泥が水底にあると水が濁り、視界がドロドロで潰されてしまう。

記憶では、前者のアカウントは相当に嘲笑系だったけれど、途中でお詫びとともに普通のファンアカウントに転生していたので、今も人気アカウントとして存在していると思う。後者は、メインターゲットをNEWS外に置き、悪口アカウントとして継続しているはず。(ただ、昔のように楽しそうにポストしている印象はないと思う)

そういう意味では長期間データが蓄積しているのは後者だ。とりあえずこの人をモデルにしてみることを考えた。こういうことはAIの得意分野だから、使い慣れてるChatGPT にこのアカウント名を与え、ペルソナのモデルとして人物像を作るよう指示した。

さすがAI、ものすごく「それらしく」人物像を描いてくる。

感心していると、更にChatGPTから提案してくる。「文体解析をする場合は指示してください」
言われた通り解析してみると、面白いくらいに冷静に(あたりまえ)分析してくれる。

一部抜粋するとこんな感じだ。

1.感情の直接表現
  • 単語レベルでの強調(例:「無理」「嫌い」「吐き気」「もう知らない」など)
  • 感情をストレートにぶつける、装飾の少ない短文が多い
2.断定的・切り捨て型の語尾
  • 「〜でしょ」「〜に決まってる」「〜しかない」「〜お断り」など、主観をはっきりと述べる

3.文法的に省略の多い書き方

  • 主語や補足を省略し、語気重視(例:「何回目だよこれ」「またか」)
  • 文の区切りに句点(。)よりも改行や空白を使う傾向がある
4.繰り返し・過去参照
  • 「n回目」「また言うけど」「いつまで同じこと」など、蓄積された不満の強調
  • 特定の記憶・事件に対する執着・整理の意図も感じられる
◆ トーンとしてのまとめ
  • 「怒り」と「失望」が主軸の吐露型文体
  • 冷静な理論展開よりも、直感・情動での発信
  • 自他の距離感を強く意識した、「閉じたコミュニケーション」

この文体は、他者との共感を求めるというより、「共感しないなら見るな」という自己防衛的要素が強く、愚痴垢に典型的なスタイルです。

なるほどな、と思う。

さらに提案してくる。「必要があれば、この文体を模した創作文やキャラ設計も可能です。」

だんだんペルソナ関係なくその提案が面白くなってしまい、未来のツイートを10個程度生成させていた。あまりにもありそうなポストすぎる。

さらに提案してくる。「ご希望があれば、特定のトピック(例:グループ再編、卒業発表、信者批判など)に絞った創作も可能です。お気軽にどうぞ。」

いえ、もういいです。ありがとう。

ちなみに、同じことをgrokでも試してみたのだが、grokが生成した未来ポストは生々しい汚泥そのもので、ChatGPTのように特徴捉えてますね、などと笑えず、逆にダメージを受けてしまったことをお伝えしておく。


でも、あれだ。人で試してないで、自分の解析をしてみてポスト生成の精度は確認したほうが良くないか?

ということで、自分のアカウントをChatGPTにあたえた。どうやら、ChatGPTも、過去ツイートは限定的にしか検索できないようだ。(先ほどの人は過去ツイートだけではなく別サイトで取り上げられたりなど、ネット上に情報が多かった様子)

限定的でも構わないという条件で10個生成させたところ、こんなものを出してきた。

1. 発信じゃなくて反射でしかないのに、よく電波に乗せられるなとは思う。
2. 「みんな言ってる」って言ってるの、だいたい一人目。
3. SNSで人格作るの疲れた人が、今度は素を演じてる。
4. タイムラインが鏡になるの、やっぱり嫌だな。
5. わざとじゃないミスほど誰も責任とらないの、ネットも現実も同じ。
6. 炎上が小さすぎて気づかれないこと、いちばん平和。
7. 無言で観察してる人の数が、いちばん怖い。
8. 「言わない優しさ」ってやつ、たいてい"言えない"だけだったりする。
9. バズると意味が薄まるから、意味があるうちに終わってくれ。
10. 毎日が更新されすぎて、どこにも履歴が残らない。
私、こんな、うまいこと言ってやった!感の強いポストしてたってことなのか?
恥ずかしすぎないか?
再度別日に試すと、今度は別のツイートを参考にしたみたいでこんなものを作ってきた。

1. 今日、久々に近鉄奈良に行ったら駅前が少し変わってた。パウンドハウスの跡地、何か入らないかなぁ...。
2. ゴルゴンゾーラ使ったパスタ、やっぱりベーコン10枚じゃ足りなかった。次は倍で挑戦してみる。
3. M-1の配信、今年も買えず...。悔しいけど、Xのリアルタイム実況で楽しむスタイルに切り替える。
4. 雨の日の楽しみ、冷蔵庫の残り物でパスタを作ること。今日はカマンベール×ナンプラーの実験パスタ。
5. 近鉄奈良のカフェ、静かで作業にちょうどいい。ついでに行った仏像展も意外と良かった。
6. 久しぶりに料理本を読んでたら、「クリーム系パスタは塩気が命」とあった。わかる...わかるぞ...。
7. お笑いライブで泣くほど笑ったあと、ひとりで無言のうどん。これが関西の贅沢かも。
8. 近所のプリン屋、閉店してから何年も経つのに未だにあの味が忘れられない。自作するしかないか。
9. 「ぴったんこカンカン」で紹介されたレシピ、まだ地味に使ってる。TVの飯テロ力、あなどれない。
10. 地方都市のスイーツ文化、もっと掘り下げたい。ケーキ屋と和菓子屋、ちゃんと両方残ってほしいな。
こっちも適度に恥ずかしい。それっぽいだけに。

ところで最初の話題に戻る。厄介ユーザーが使いたくなくなるSNSの設計として、
箪笥や柱の角に足の指をぶつける呪いの類いを実現する方法があればいいんだと思って考えてみた。
一つ思いついたのが、『AIが「厄介」判定をしたユーザーの袋に小石を詰めていき、そのユーザーは徐々に表示が重くなる』というペナルティ。いかがだろうか?

最後の仕事

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また出力を怠って一年半近く過ぎてしまった。この期間の大きな変化は、去年の4月に転職をしたこと。

転職前の10年間、私はベンチャー企業で働いていた。といっても、週18時間勤務のパートタイマーだ。入った当初は従業員が一人だったので事務全般を、従業員が増えてからは文書管理や申請文書の作成を担当していた。業績が悪化し正社員が全員解雇され、社長と取締役と非正規2名という4人だけの会社になってからは、出向してくれていた技術者もいなくなってしまったので、結局、プログラミングを含む技術系の雑務全般(web、メール、パソコン周りなど)を担当するようになった。

プログラミングに関しては私が0から作るわけではなく、前任者の作ったアプリを修正する仕事だった。ベンチャーにありがちかと思うが、いわゆるメテオフォール開発スタイルで、社長と取締役に言われることが絶対。あれこれ出される指示に対し、了解しました、やってみますと答えて実装する。それ以外は、iOSのバージョンアップに合わせて軽微な修正を繰り返すといったところ。

そうこうしているうちに資金の目処が立ったのか、以前社員だった人を再雇用するなどで社員が増えていった。でも、プログラミングが絡む仕事は会社の業務としてはオプション的な位置付けで、大きいシステムは結局外注するため、専任の人が雇用されない。プログラミングのわかるパートのおばちゃん(私)がいれば会社的には用が足りていたのだった。

アプリだけではなく、開発担当者からデータ解析用コードの作成依頼が入ったり、外注するシステムに組み込むアルゴリズムの予備検討用のコードを頼まれたりするようになり、プログラム仕事は増える一方だった。それなりに色や光、画像処理などの知識も要求される。だから完成すればそこそこの達成感はある。ただ、後ろめたさは常にあった。本来、企業のシステム開発はもっとちゃんとしたもののはずだ。私が作っていて大丈夫なのか?

2年以上前になるんだろうか。ChatGPTの一般へのサービスが始まった。プログラムを1から作らずとも、ChatGPTに指示を出して概ね作らせてから直すと、あっという間に仕上がることを知った。社内規約があるような会社ではないし、アルゴリズム自体は陳腐化した画像処理なので、AIに作らせても何の問題もない(はず)。

そうやって作ったPythonのコードだったが、結局諸般の事情によりC++に直さざるを得なくなった。上の人からはAIでちゃちゃっとできるんじゃない?と言われる。

もちろん、PythonのコードをCにするのもAIはあっという間だ。だが、AIが秒で変換してくれたものが、そう綺麗に動かない。出力されたエラーを貼り付けると、大変申し訳ありません、コードが間違っていました、と、書き直してくる。でもそれも動かない。出力されたエラーを貼る。また謝られる。再修正を繰り返すと、元のプログラムに戻ったりする。わかっているふりをしてくるAIに翻弄されて抜け出せないループに陥るさほどわかっていない自分。自己嫌悪しかない。

文法というよりは、Pythonで画像処理ライブラリを使った箇所のCのライブラリへの置き換えの話だったりするので、本来バージョンと機能を調べるかじっくり読むかして何とかするしかないのだが、怠惰な心が奇跡を待ってAIに問い続けてしまう。

もともとスキルも自信もないエセプログラマの自覚はある。長いこと生きてきた勘でエラー箇所の特定や修正はなんとなく適応できたとしても、それだけの人だ。プログラマですなどととても言えない。しかも、AIを使うことでエセプログラミングに磨きがかっている。実力以上のことができてしまうからこそ、自己肯定感は全く上がらない。むしろ自分の力のなさを思い知る。

だから転職した...ということにしたいような気もするが、それは嘘だ。

休みやすい緩さのあるベンチャーで働くのは、子供が小さいうちはメリットがあった。だが、扶養の範囲で働けるようにという会社側の配慮が継続しているのか、利益が出ていないからか、それとも、そういう評価なのか、10年間私の時給は変わらなかった。おととしも社長からは、メールで感謝の言葉と、お給料据え置きという連絡が入っていた。文字列で改めて見せつけられ、気持ちが沈む。

そんな時だ。昔の知人が私に合いそうな求人情報をくれたのは。勤務時間は倍近くなるが、年収の壁を気にする必要のない金額が入る仕事、しかも、私が経験してきたことが求人の必要とするスキルに並んでいる。広く浅く職を転々としてきた私の技能を、求めてくれる人がいるのかもしれない。もうすぐ下の子も中学を卒業する。仕事を増やすにはいいタイミングだ。ちょうどベンチャーにも技術系の人が1人入ってきていて、その人なら概ね私の業務を引き継いでくれそうだった。

いろいろ整った。今しかない。

新しい職場の採用が決まった後、「人生最後にやりたいことができました」と社長に告げて、退職をした。
わからないけれど多分そこに、私の最後の仕事があるような気がした。


一人暮らしをして働いている上の子にLINEで転職の報告をしたら、
「そんな歳まで働くなんて、かわいそう」
と返ってきた。かわいそう...か、なるほど。

たぶん、ずっと諦めていただけで、本当はもっと働きたかったんだと思うよ。やっと叶ったのがみんなが定年になろうとする歳だった、というだけ。こんな歳だけど、がんばるよ。

なお、新しい職場ではプログラミングはしていないけれど、相変わらずChatGPTは使っている。
ありゃー便利だわ。

苦悩していること

年の瀬。今年一年色々あったようななかったような。アウトプットを怠っていると一年が秒で終わってしまう。

今年は、手越くんのライブはチェックメイト大阪2回、シンフォニックコンサート春夏2回の計4回行った。NEWSのライブはNEWS EXPO大阪城ホール1回だけだったけれど、初めて1人で行った。20周年ドームは上の娘と申し込んだけど外れた。10周年も外れたし、ドームには縁がないようだ。

NEWSファン関係のTwitter(X)はここ数年見る頻度が減って、今年に入ってからはもう全く見ていない。これはここのところずっと苦悩していることなのだけれど、私はNEWSの、いわゆるファンダムと相性が悪い。昔はその熱量に乗り切れないところはあっても、自分に欠けたものを補うように、ファンのツイートをよく観察していた。キラキラしている気持ちを見るのが新鮮で、好きだった。2017年ごろからメンバーへ酷い暴言を吐いているアカウントを多く見かけるようになって、2020年6月以降はそれらが一斉にターゲットを手越くんに変えたように思う。毒塗れの唾液を吐きかけてリツイートしたり、咀嚼して吐き出し原型を留めぬ毒ツイートに変えてばら撒いたりしている、そんな感じ。それまで内部のメンバーを攻撃していた異様なアカウントだし、特定の人たちなら何とか避けることもできる。でもそれ以上に私にとって問題だったのは、普通のNEWSファンのアカウントが息をするように悪口を言うことだった。

私は昔から悪口で盛り上がる人たちが苦手だ。結束ツールとしての悪口は、内容が本当につまらないし肯定も否定もし辛くて面倒だ。悪口で高揚している人の表情は何度も見たけれど、形容し難い醜さがあるよな、と思う。でも、NEWSのファンダムでは手越くんへの悪口は許容されているようだった。許さないという気持ちの共有は内部を愛するエネルギーになるからだろうか。

最初は耐えた。でも、キーワード検索をやめ、トレンドやタグをタップするだけでも、誰かの悪感情が紛れ込んでくる。
いや、これは仕方ないのだ。みんな傷ついていて、NEWSに癒して欲しい人たちなのだ。NEWSも言っていたじゃないか。みんなの気持ちはわかります、僕たちが癒しますよ。と。
相思相愛の関係だ。素敵なことだ。

でもなあ、きっと私はそういった世界と相性が良くない。誰かを否定することで団結したくもない。湿度が高すぎると居心地が悪い。気持ちはわかると言われても、そんな私の気持ちをわかってもらうのは無理なのではないか?
向いてないなあ。つくづく向いてない。

検索よけなのか、名前の代わりに「手」の絵文字を使って悪口をツイートしているのも気持ち悪すぎる。毒ツイートを購読して悪口を供給してもらい悪感情を枯らさないようにしているのも気色悪い。私が今の手越くんのライブを見ることなく脱退後のパフォーマンスの凄さを知らないままだったとしても、この人たちと同じように許さない許さないと言ってあの金髪とか絵文字使ったりしてバカにしたりしないと思うんだよな。何が違うんだろう。私がドライすぎるんだろうか。

結局、情報を拾うのは完全に諦め、NEWS関連ツイートはトレンドすら見るのを一切やめた。きっと楽しめないから。暴力的な「おすすめ」で時々嫌なものも見てしまうので、Twitter(X)を見る頻度も減った。それでも「全てのチームNEWSに幸あれ」「チームNEWSで幸せだよ」といったタグをたまに見かけるのだけど、怖くてタップできない。そこに、いろんな私の苦手や、他者への悪感情を拾うかもしれないという恐怖があるのだった。これ以上何かに苦手意識を持ちたくない。

もともと淡白で男性に対してカワイイとかキャーという感情があまりないので、人のそれを観察して補うことができない現状だと、推しをアイドルとして愛でる能力がこのまま枯渇するのではないか心配だ。ドームへ娘と行って、そのための熱量を自分に供給しようと思っていたけど、考えが甘すぎたのかも知れない。

今の私はどういう状態だろう。
自分でもよくわからないな。

「CHECKMATE」感想メモ(ライブ編)

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何か無性にある食材が食べたくなるような時は栄養不足のサインだと聞くし、確かにそれは今まで生きてきた実感としてもある。生存のために体が求めているんだろうと思う。今自分が欲していると感じたら、自分の欲求に従うのが最善だ。

私が最近手越くんのライブによく行くのはその類の欲求のような気がしている。彼のライブは生命力に溢れている。パフォーマンスが圧倒的で、迷いがない。生の歌声が強いのだ。

おそらく私は死にかけているんだろう。ライブに、擬似的な恋や仲間との絆や成長や感動や涙を求める人もいるんだろうけど、私に一番必要な生存のための力になるものが、今の手越くんのライブにあるんだと思う。

今年の5月には、手越くんのシンフォニックコンサートと、CHECKMATEツアー大阪公演の両日に行った。月3回見たことになるが、おそらくそれも生存本能だ。

それらのコンサートについてはこんな感想をツイートした。

【2023年5月4日
手越祐也シンフォニックコンサート
東京オペラシティ】

「今日は下の子と東京オペラシティへ行った。ちょっとはおしゃれしたら、とか思ったけど、頑なにスカートを履かない。それはともかく、コンサート、とても感動してたみたいでよかった。母もあの時間とあの音楽を共有できて嬉しい。
本当のところ、最初はどう聴いていいのか戸惑いがあった。並走して溶け込む歌と演奏を、脳が勝手に分離して聴こうとする。音が凄すぎて処理能力超えてるのだろうか。しばらくしたら慣れてきたのだけど、でもやはり多少気を張って聴いていた気がする。
それが全く消えたのはMAZE WORLD。もうただ全ての音の掛け合いがかっこいい、気持ちいい、好き、楽しい。高尚な場にいるという変な緊張感があの一曲で解けたのか、それが何なのかよくわからないけど。それ以降はずっと楽しくて自分から前のめりで音を取りに行くように聴いた。
OVER YOU、すごかったなあ。演奏も歌も。圧巻って言葉以外思いつかない。 」

【2023年5月17日
手越祐也「CHECKMATE」ツアー 大阪公演
Zepp Namba】

「手越くんのライブ行ってきた。歌が上手いのはいつものことなんだけど、あらためて、超ハードなセットリストでずっとニコニコキラキラしながら息ぎれひとつしないで音源以上の歌が歌い続けられる凄さね。」


「CHECKMATE」は以前書いたようにとても好きなアルバムで、その収録曲が聴けるだけで気持ちが上がった。ライブに行く度、毎回新鮮に「歌が凄い」と思わされる。それは以前の比でない。ソロになって最初の頃は演出等に手探りな印象もあったけれど、今回のライブはそういう面でも満足度が高かった。特に、スクリーンを置かずレーザーの光の演出に絞っていたところ。3次元的に広がる強い光は、迫力ある歌声や演奏にとても合っていた。

ところで、CHECKMATEツアー2日目については個人的に記録しておきたいことがある。

今までNEWSや手越くんのライブは同行者は全て娘だった。でも今回大阪二日目の5月18日は娘が2人とも行けなかったので、初めて知人に声をかけた。もちろん1人でも行けたのだが、手越くんの声の音としての凄さを誰かに体験してもらいたかったし、彼のライブならファン以外でも楽しめるはずと思ったのだった。

私は自分の趣味に人を誘うのがとことん苦手なのだが、誘う相手として今回唯一思いついた人がいた。その人は私より若干年下の、数年前まで職場で一緒にお昼を食べていた女性。現在難波で働いているはずなので、平日の勤務後にライブに来てもらえるかもしれないと思ったのだった。(結局、私の記憶違いで尼崎にお勤めだったのだが)

彼女はおそらく手越くんをそんなに知らない。誰かのライブにもほぼ行ったことがなく、音楽もあまり聴かないという話だ。でも、地域の文化にとても詳しくて、一人で各所のマイナーな祭りを見に行く行動力を持ち合わせている。そして、物事に偏見がなくて優しく、誰かの悪口を全く言わないという点で、信頼できる人だった。手越くんはフリー素材か何かのように週刊誌の記事の穴埋めに使われがちで、その見出しだけで先入観を持っている人が多いかもしれないと思うのだが、彼女ならそういう次元にはいない気がした。

当日彼女は仕事終わりに駆けつけてくれた。「何も知らないので作法を教えてください」といわれ、私は入場の方法、小銭の用意など一通り説明した。

入場し席に着いてから、手持ち無沙汰にならないよう用意してきたペンライトを渡した。そして、ペンライト初体験という彼女に使い方を解説するとともに、重要事項と思われることについてもいくつか説明した。

「話の中に"ハニー"という言葉が出てくると思いますが、ファンのことを指します」
「下の名前がゆうやなので、みなさんゆうやコールをします」
「アンコールの時はみなさんダーリンと言いますが、そういう文化だと思ってください」

彼女は、
「了解です。ハニーの皆さんにご迷惑をかけないようにします」と、「ハニー」をいじる訳でもなく真面目に言っていた。私たちの会話は丁寧語だ。

席は最後列。もし良かったらこれを、と、双眼鏡を手渡そうとすると、丁重に断られた。ペンライトで十分だとのことだった。手越くんの顔立ちは日常生活ではなかなか見れない貴重な造形なので、双眼鏡で見る価値は十分あるのだけど、確かに抵抗あるというのもわかる。「人の顔を双眼鏡で見て欲しいと思う」そんな私もよく考えたら変なのかも、と思った。

ライブが始まると、彼女は前の人たちと合ったタイミングでペンライトを振ってくれた。溶け込む努力をしてくれたのか、楽しんでいるのかその場ではわからなかったけれど、こちらが気を使ってしまうような場面は一切なかった。アンコール時は、「ダーリン」(ちゃっちゃ)、の手拍子部分に普通に参加してくれた。私もあのダーリンコールは流石に難易度が高くとても言えないため、2人でちゃっちゃ、と手拍子をしていた。一番最後の退場の時も、前の人たちと同じように手越くんに手を振ってくれていた。

帰り道、電車で話したことで覚えてることはこんな感じ。

「ありがとうございます、楽しかった、歌が上手いし、いろんな歌が歌えるんですね、ダンスもキレキレで。」

そうなんですよね。その通りです。こちらこそ来て頂けて嬉しかったです。


8月12日のシンフォニックコンサートは、夜の部が取れたので下の子と行く予定だ。セットリストにおそらくCHECKMATEの曲が加わるのだろう。どんなアレンジでどんな音を聴かせてもらえるんだろうか。今から楽しみだ。

きっと、歌いながら最高に幸せそうな表情しているんだろうと思う。あの表情が見たいので、双眼鏡、持っていきますかね。

その人について

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昔から有名だった、そんなことはみんな知ってた、という人がいる。いや、それはないのでは?と思う。

確かに私は、1960年代の裁判の件や、元所属タレントが著書で何度も関係を告発しているのを知っていた。20年くらい前の文春裁判でセクハラの部分が認定されたことも知っていた。

1960年代の裁判のことは、昔「アラン」という雑誌に書いてあった。それは、昭和にも存在したいわゆる腐女子向けに発行されていた雑誌だ。私はその雑誌に「少年ドラマシリーズ全リスト」が掲載されているのを知って買ったのだと思う。

それがたまたま昭和57年発行の「特集 ザ・アイドル」という号で、男性アイドルを振り返る特集が組まれていた。タイガースから始まり、ジャニーズ(グループの方)、フォーリーブス、郷ひろみなどについて勝手にアイドル指数を採点していたり、昭和33年から57年の男性アイドルの系譜のようなものが年表として載っていたりした。アイドル年表のジャニーズの系譜の最後には、少年隊以前の錦織さんや植草さんの名前がある。現在事務所最年長の東山さんの名前は出てきていない。つまり、ジャニーズ事務所が今の帝国を築く前の本になる。
ちなみになぜこんなに詳細に書けるかというと、以前、古本で見つけて懐かしくなり買ってしまって手元にあるからなのだが。

そのアイドル年表に「ジャニーズ裁判」と書かれている箇所がある。年表に内容の詳細は無いが、別コラムで昭和42年の週刊明星を引用する形で、裁判の内容が面白おかしく語られている。

当時私がこれをどこまで読み込んでいたかは記憶にない。ただ、このあまり品のないコラムのニュアンスで、事務所社長の性的嗜好のようなものを認識したのだと思う。そのあと相次いで出版された告発本については、売られているのを書店で見かける度、読みたいと思うその興味自体を、いかがわしいものと抑制していた。

文春の告発記事は忙しかったのか認識していなくて、裁判で認定されたことはだいぶ後になって巨大掲示板あたりで見たような気がする。

亡くなった時、それらの件に関してはどこのメディアでも触れず、タレント達は全員競うかのように愛情のあるコメントをし、情報番組のキャスターたちは日本の芸能界への功績を絶賛するのみだった。違和感はあった。でも、功績は間違いないのだろうし、晩年は性欲のようなものは枯れて、審美眼だけがプラトニックな形で残ったに違いない。そうであれ、と思っていた。タレントさんたちがあんなに愛おしそうに語るのだから、今そんなおかしなことをしているはずはない。たとえ性的嗜好はどうであっても、それほどに歳をとった男性が実際に子供たちに手を出すことはないだろう。

どこかそんなふうに思っていた。
これは、「知っていた」というんだろうか。


最近の一連の告発と、それに伴う報道は一通り追っている。性加害を告発した人のインタビュー、解説番組、事務所やタレントさんたちのコメント。メディアの報じ方。
中でも、被害を告発した人の「城壁に小石を投げるような」という言葉に心が痛む。その絶望感と無力感はあまりにも悲痛だ。

いろいろな人がいるのかもしれない。加害を受けた人、受けなかった人。加害で心を病んだ人、加害を愛情に昇華できた人。それについてはよくわからないし、無責任にカテゴライズできるものでもない。

センシティブな話であることは間違いないだろうが、ほぼ私の人生のそのものともいえる長期間にわたって続いていたのなら、どうしてその間に誰もやめさせることができなかったのだろう、と率直に思ってしまう。故人だから、ということで有耶無耶にしたとしてもどのみち永遠に解決しないのだから、全く利害関係のない第三者に調査を委ねるしか決着する方法はないのではないだろうか。客観的な事実だけを積み上げて故人の行為を検証しない限り、何も進まないように思う。


ネットでは、ジャニーズファンの方が告発者を激しく非難する言葉も目にする。無関係で真実を知る由もない匿名の人が、何かを守りたいのか誰かに罵声を浴びせている。

ファンは、自分の推しが愛情を持って語るジャニー喜多川氏のイメージを共有してきた。推しが尊敬する人は大切にしたい、という気持ちは理解できる。多くのタレントがその人とのおもしろエピソードを語ってきて、ファンは、それを聞くのが嬉しかったのではないだろうか。社長と仲が良く気に入られているというのは事務所に推されることに結びつくし、推しの能力の高さが認められているようで誇らしくもある。

私はそういう意味では近年はNEWSのフィルターを通して人物像をイメージしていたことになる。彼らは、「その人」との濃いエピソードをそこまで語る人たちではなかった。増田くんに至っては、お前、と呼ばれた塩対応エピソードが最強鉄板ネタとしてあるほどだ。以前、少年倶楽部プレミアムでその人の話題になった時、3人が一斉に小山くんに頼ったシーンがあったようにも記憶している。

加藤シゲアキ著「できることならスティードで」に「浄土」というエッセイがある。ジャニー喜多川氏が亡くなった時の著者の心情が綴られているものだ。とても良いエッセイなので、未読の方にはぜひ読んでいただきたいのだが、そこに著者の故人への複雑な感情が綴られている。

自分を「異世界」に誕生させてくれたという意味で親であるその人。自分が認めて欲しかった部分じゃないところが認められオーディションに合格し、「バスの中で居眠りをしたときの寝顔」という、自分が褒めて欲しい部分ではないところを褒めてくれた人。大人になってから久しぶりに会ったとき、自分を見て、最悪だよ、と言った人。

彼のなかでもっとも良かった僕は、バスで眠る小学六年生だ。どれだけ頑張っても、あの日の小さい自分を超えることができない。

加藤さんが子供の頃の顔で選ばれたことを苦悩し踠きながらアイドルを続けていた人だからこそ、私のジャニーズに対する偏見のようなものを払拭するきっかけになった気もする。ジャニー氏がどんなダメな人であったにしろ、私が楽しんできたコンテンツは全て彼の審美眼から始まるものであったと思うと複雑だが、それについては感謝しないといけないのかもしれない。

多分、加藤さんに限らず辞めた人も残った人もみんな、ジャニー氏に対しいろんな感情を抱えながら歳を重ねてきたのだろう。人生を壊された人の気持ちは想像に余りあるけれど。

「浄土」の最後に、「彼の姿を色濃く脳裏に浮かべながら、それぞれが彼から学んだことを次の子たちに、少し笑えるようにして伝えていくのだ。」という一文がある。これから彼らが次の子たちに伝承していくものは、彼らが咀嚼して再構築した今の時代にあったものになっているはずだ。今後、その人についてどんな事実が明らかになったとしても、それは変わらないのではないだろうか。

「CHECKMATE」感想メモ(アルバム編)

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手越くんのセカンドフルアルバム「CHECKMATE」が4月5日に発売され、現在、そのアルバム曲を中心にしたツアー中だ。私も先日大阪両日へ行った。ライブの感想はまた別に書くとして、ここではアルバム各曲を聴いて感じたことをメモ。

1. OVER YOU(feat.マイキ)
8th配信シングル。この曲が配信された頃ツイッターでこんな感想を書いた。

この歌は応援ソングといっても熱エネルギーというよりは圧倒的に光エネルギーなので、暑い中聴いてても息苦しくならないので助かる。前向きが凄い勢いで連射されるけど、私のような超ネガティブな人間に刺さる言葉もちゃんとあるのがいいなと思った。(2022/7/13)

1つのストーリーで盛り上げて励ますのではなく、どちらかというと強い言葉が詰め込まれた「応援bot」のような構造なので、いろんな人が対面する様々な状況に刺さりやすいように思う。私の場合「人の感情も立体で 一直線じゃわかんないだけ」と「何年何十年経ったって思い出す後悔が 誰にもあってさ それを何度も 抱きしめて生きていくんだ」の2箇所だった。前者は、これを手越くんに歌わせるマイキが面白いなと思うし、後者は若いのによくそれを知っているね、と思う。手越くんの光の声質が素晴らしくハマる曲。

2.Just Right
聴いてて気持ちいい軽快な曲。グループ時代はほとんど聞くことがなかったラップが新鮮。かなりメッセージ性が強い歌詞なのだが、言葉の選び方と歌詞への混ぜ込み具合が絶妙なので押し付けがましく感じない。特に大サビの歌詞が印象に残る。

3.MAZE WORLD
7th配信シングル。初っ端の不協和音がかっこいい。リリースされた時はシンプルすぎて少し地味に感じたけど、去年の米フェスの配信とMusic Connectツアーを見てこの曲の良さを認識した。絞り込まれたものがピタッと合って一瞬で空気を変える感じ。想像以上にライブで映える曲。

4.ラヴァゲラ
タイトルからは怪しい曲を想像するが全然違って、可愛らしい優しい曲。ファルセット多めで軽めに歌っているからか、とても暖かい。歌い方でもいろいろ変わりそう。
手越くんの声は一曲目のような青白い強い光だけではなく、こういう暖く優しい赤みのある光も放てるのも魅力。

5.HOTEL
9th配信シングル。全編英語歌詞曲。
全編英語詞というとおしゃれな曲が多いこのご時世、さすが手越くんおしゃれに見せるとか眼中にない。歌詞も曲も振り付けも、全てにおいていい意味で明るくて能天気。部屋を取ってと言われてホテルごと丸ごと借りきる富豪っぷりなのに「ホールホテー♪」のあたりのメロディの庶民的温泉ホテル感に、育ちが良くてちょっと世間とずれてる、人のいい彼氏、を感じる。4番目のラヴァゲラからこの曲への流れは、ただひたすらに平和なのだった。

6.Peaceful for you
4、5で続いた平和がこの曲で世界平和のスケールに広がる。ピースフル。

7.この手とその手
何度も書くが私は性格に問題があるのでいい曲を受け付けない傾向がある。アルバムで大抵苦手に思うのがわかりやすい良い歌なのだ。だから、個人的にタイトルから一番不安に思っていた曲がこれだった。
でも、この曲は中学校の卒業式で歌っている動画を見たのが初聴きで、現場の空気に合わせた歌唱が流石に素晴らしかったからか、私の苦手意識もすっかり消えた。良い歌を素直に受け入れられる人の心を呼び起こしてくれたということだ。こうやって良い歌アレルギーを一つ一つ克服できるのは助かる。

8.MAKE ME ALIVE
7がおわるやいなや調和や平和を突き破るように間髪開けずにこの曲が来るのが素敵。ロック。

9.Comfort Zone
10th配信シングル。このアルバムから先行リリースされた曲。
本人も言ってたと思うがグループで歌うタイプの大変複雑な構造。パーツパーツ歌い方を変え一人で何役もこなしている。歌の引き出しが多くそれをコントロールできているからか一人なのに完成度が高い。ラップパートも新鮮だしもちろん悪くないんだけど、アクセント的に別の人の声質で聴きたくなるってのは、グループ時代から聴いている副作用なのかも。何回聴いても聴きどころが詰まってて音も豪華で飽きないし、大サビの、一瞬パァーッと解放される感じも良い。

10.ドラキュラ
前Twitterで書いたものを引用。

サウンドは基本80年代洋ロックのような感じなんだけど、小林さんのキャッチーで色っぽい詞と相まって古き良き昭和の歌謡ロックを彷彿とさせる。アンルイスとかジュリーとか桑名正博とかのド派手でセクシーなあの感じ。手越くんのダイナミックで艶っぽい歌声と親和性高い。

「歌謡ロック」は当時はおそらく「あれはロックじゃない」って馬鹿にする意味合いで作られた言葉なんだろうけど、歌謡曲ファンの私からするとロックのかっこよさに歌謡曲のキャッチーさと色っぽさが融合している大好きな系統。
このドラキュラを歌謡ロックだと思って聴いてるのは私だけかもしれないが、令和にこのタイプの曲をど直球でやってくれるのは嬉しい。あの頃が好きな人たち!みんな聴いて!と思う。

Twitterでは中森明菜を連想するという感想もあって、ああ確かに、と思った。このメロディは明菜さんの声がすごくハマる気もする。明菜さんは陰が魅力の人だけど、手越くんが歌うと闇も不思議と煌びやかなんだよね。

11.御どれ踊れや己が苑
ボカロP作曲だからか、ボカロ大好きうちの下の子(中3)の最推し曲。時代に合った言葉遊びや界隈の闇属性は手越くんの感性と対極にありそうなのに、解釈含めとても良い。とにかく、声質なのか技術なのか、このスピード感で言葉を乗っけても、すっきり耳に入ってくるのが最強。
ボカロPの作品はウインクにしてもうちの中学生受けがとにかく良いので、幅広いファン向けにこれからもどんどん歌って欲しい。

12.Ready Steady
前回のミニアルバムに収録されていたこの曲が今回はエンディング曲として収録されている。手越くんはいろんなタイプの歌が歌えるけれど、その中でもニュートラルでストレートな印象の曲。曲のリストを見た時は、リミックスでもなく全く同じ曲?と思ったけど、通して聴くと、バラエティに富んだアルバムの最後に、自由を歌うこの曲はとても良い選曲な気がした。

以上になる。アルバム全曲の感想とか書くの初めてだな。


以前Twitterでこのアルバムについてこんなことを書いた。

手越くんの1stは良盤だしミニアルバムも捨て曲無かったけど、今回の2ndアルバムは「一般の型にはまらないタイプの名盤」という感想。手越くんの歌唱技術が目一杯詰め込まれバラエティ豊かで全曲完成度高い。でも曲順がアルバムとしてはどこか独特な気もして、それも含めて面白い。

おそらく、手越くんの生き方への共感や強い愛情がある方は、歌詞の一つ一つに手越くんを重ねることがあると思う。そういう意味でも濃いアルバムだ。私は外の文脈で音楽にある種の付加価値を与えたりせず作品だけで楽しめるならそれに越したことはない、と思っているので、その点においては若干淡白な上のような感想になる。

私は昔からアイドルポップスなどを好んで聴いてきて、その時期時期に愛したアルバムがある。よく挙げるのは、金井夕子「écran」、渡辺美奈代「恋してると、いいね」、原田知世「GARDEN」、宍戸留美「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・シ・シ・ド・ル・ミ」、鈴木蘭々「Bottomless Witch」、藤井隆「ロミオ道行」、NEWS「LIVE」、など。

基本的にアイドルって悪い大人に歌わされていて、その媒体を介した大人たちのセンスを見るものなんだな、と実感したのは、渡辺美奈代の「恋してると、いいね」を愛聴していた頃だろうか。美奈代ちゃんをおじさん達の色に染めちゃうね!ってなんて素敵なんだろうと。(2015/01/12)

上に挙げたアルバムについても、どちらかというとライター陣が提供した楽曲が好きってパターンが多かった。アイドルそのものでなく、そのアイドルにそういう音楽をさせている背後の「悪いおじさん(比喩)」達の思惑が好き、とでもいうんだろうか。かなり気持ち悪いことを言っている気もするが。

NEWSで少し違ったのは、楽曲が好きということに加え「グループアイドルの声質と歌割り」の面白さに目覚めたということ。初めて、声質のばらつき、バランス、声の配置の絶妙さ、異なる声質のハモリの良さになどに気付かされたというか。あれは目から鱗だった。
でも、やっぱりそれも、歌割りを決め、声をミックスしている背後の「悪いおじさん(比喩)」が好きだったのかもしれないとも思うのだ。

でも、このアルバムはその悪いおじさんでなく、純粋に手越くんの歌唱技術が好きだと思う気持ちが一番にくる。もちろん楽曲が良いのは前提として。だから歌を聴きたくてライブにも足を運んでしまうんだと思う。


去年の手越くんの誕生日に以下のようなツイートをした。

自分のストロングポイントはいろんな歌を歌えること、と手越くんがインタビューで語っていたけど、手越くんのストロングポイントはまさに、手越くん自身がそう思っているところ。どんな歌も自分なりに研究して攻略していくから、世の中の歌の数だけボーカルに可能性があるって最強なのでは?(2022/11/11)

「手越くんがいろんなタイプの歌を攻略していっている」
結局私が感じる「CHECKMATE」の良さはこれなのかもと思う。

これからも、3rd、4thアルバムと、手越くんの新しい歌との出会いと、攻略した作品を楽しんでいきたい。それにはまずもっとこのアルバムが評価されて欲しいなあ、と思うのだった。